第 V 幕 — 器第 37 節/全 74 節
生成の室
ハヴァ・カドモナーの本文は、イェソドとマルフートにとりわけ美しい関係の対をなす。受け取る方位におけるイェソドは「生成の室」となる——受容は伝達の終わりではなく、変容の始まりである。
マルフートとは、生成がついに形を取らねばならぬときに来るものである。
宿されたものは、生まれねばならない。
これは下位のセフィロートを貫く一つの律動を生む。
イェソドは集める。
マルフートは顕す。
イェソドは関係を孕む。
マルフートはそれに一つの世界を与える。
これはほとんどあらゆる創造の過程に当てはめうる。
着想は、まだ書物ではない。
旋律は、まだ録音ではない。
幻視は、まだ制度ではない。
愛は、まだ婚姻ではない。
信は、まだアヴォダーではない。
憐れみは、まだツェダカーではない。
メシア的な理念は、まだゲウラーではない。
マルフートは、容赦のない最後の問いを立てる——
それはどこにあるのか。
それはいかなる形を取ったのか。
誰がその内に住みうるのか。
世界において何一つ変わらなかったのなら、光はまだ自らを完成していない。