第 V 幕 — 器第 29 節/全 74 節
ハシェム・エハド、そしてシェモ・エハド
ゼカリヤの偉大なメシア的一節はこう言う——
וְהָיָה ה׳ לְמֶלֶךְ עַל כָּל הָאָרֶץ בַּיּוֹם הַהוּא יִהְיֶה ה׳ אֶחָד וּשְׁמוֹ אֶחָד
「ハシェムは全地の王となられる。その日には、ハシェムは一つ、その名も一つとなる」(ゼカリヤ書 14:9)。
ハシェムは、一であるために未来を待ってはいない。
シェマは今、真である。
変わるのは啓示である。
御名が一つとなる。
多のうちに一がいかに現れるか、その仕方が透明となる。
これがマルフートである。マルフートとは、世界へと入りゆく御名だからである。
ガルートの問題は、神が形而上的に希薄に現前しているということではない。
問題は、世界が自らを正しく読んでいないということである。
物質は自存するかに見える。
歴史は主のないものに見える。
力は究極に見える。
死は最終に見える。
断片化は根本に見える。
ゲウラーはその読みを変える。
世界は、多であることが一からの分離を意味したことなど一度もなかったと知る。
だからこそハヴァ・カドモナーの「第二の方位」は、マシアハ的意識をもつトーラーにとってかくも豊かでありうる。閉じた回路とは、この世界に取って代わる第二の宇宙ではない。それは、下降と還帰とをともに働かせるこの世界そのものである。文書自身が黄金の時代を、完成のあとに付け加えられる何かとしてではなく、完成した構造が内から見たときにどう見えるか、として言い表している。
ゲウラーとは、回路が閉じるときの、その感触である。