第 II 幕 — 転回第 6 節/全 74 節
マルフートとシェヒナー——去ることを拒む臨在
マルフートとシェヒナーはカバラーにおいて深く結びついているが、ハヴァ・カドモナーの枠組みは重要な区別を立てる。ハヴァ・カドモナーは、シェヒナーやマルフートの単なる別名ではない。それが提示する構造の内において、ハヴァ・カドモナーは原初の関係的布置の全体であり、シェヒナーはその最下の衣であって、神的臨在が被造の意識のうちで住まいうるものとなるかぎりでのアツィルートのマルフートと同一視される。
この区別は、マルフートを体系全体へと膨らませることなく、マルフートについて力強いことを言うのを可能にする。
マルフートとは、隠れた方位が住まいとなる場所である。
シェヒナーという語は、住まうことの言葉、ショヘンに由来する。トーラーはミシュカンについてこう言う——
וְעָשׂוּ לִי מִקְדָּשׁ וְשָׁכַנְתִּי בְּתוֹכָם
「彼らは我がために聖所を造れ。しからば我、彼らの中に住まわん」(出エジプト記 25:8)。
ハシドゥートはしばしば、単に「その中に」ではなく「彼らの中に」というベトハムの語法に注意を促す。神的な住まいは建物に限られない。ミシュカンは、物質が聖にとって迎え入れるものとなりうる、その型を顕す。
マルフートは、この迎え入れの宇宙的な形である。
だからこそ、最も下のセフィラーを霊的な恥として扱うことはできない。
ハシェムの意図は、光が高きにとどまることでは満たされない。
タニヤ第三十六章で中心的に取り上げられるミドラシュの教えは、聖なる方がディラー・ベタハトニーム、すなわち下なる諸界における住まいを望まれた、と述べる。
住まいを。
単なる啓示ではなく。
この区別は途方もない。
住まうことなしに、ある場所を訪れることはできる。
住まうことなしに、部屋を照らすことはできる。
受け取る者と関係に入ることなしに、情報を伝えることはできる。
住まいとは、臨在がそこで我が家となったということである。
ゆえにハヴァ・カドモナーの本文は、受け手こそが被造の目的を担うと言う。天は輝きうるが、地は産み出すからである。最も低い場所は、そこに届いたものに対して何ごとかを行う。
これによって、なぜマルフートが最も下でなければならないのかが理解される。
最も下が最も価値が低いという意味だからではない。
最も高い場所に住まいを作って、それをディラー・ベタハトニームと呼ぶことはできないからである。
意図は床にまで届かねばならない。
食卓に、身体に、金銭に、台所に、寝室に、食物に、契約に、悲嘆に、労働に、子らに、孤独に、共同体に、欲望に、不和に、そして時に届かねばならない。
住まいは、生が現に生きられている場所に作られねばならない。
それがマルフートである。