下降の間ずっと、それは一本の線に見えていた。
あなたがその底に達する前から、それは回路であった。
נעוץ סופן בתחילתן
Na'utz sofan b'techilasan.
「その終わりはその始まりに突き刺さっている。」
第 II 幕 — 転回第 9 節/全 74 節
「ナウーツ・ソファン・ビトヒラタン」——終わりが始まりに触れる
セフェル・イェツィラーは教える——
נעוץ סופן בתחילתן ותחילתן בסופן
「その終わりはその始まりに埋め込まれ、その始まりはその終わりに埋め込まれている。」
これは長らくカバラーの根本原理であった。セフィロートは単に線状の鎖をなすのではない。終わりは始まりと隠れた関係を持つ。
それゆえマルフートは、ケテルとのなみなみならぬ親近を有する。
最も下なるものが、最も高きものに触れる。
下なる王国は、上なる王冠と神秘のうちに結ばれている。
これは言葉のうえにも見て取れる。ケテルは王冠である。マルフートは王国である。王権なしに王冠を十全に語ることはできず、戴冠なしに王権を語ることもできない。
ホフマーは解する。
ビナーは展べる。
ミドートは関係づける。
だがケテルとマルフートは、主権という秘義によって構造の全体を枠取る。
初めに、王国への意志がある。
終わりに、その意志に応えうる王国がある。
そのあいだに、欲求が住まいうるものとなる、その過程のすべてが横たわっている。
ハヴァ・カドモナーの視座は、さらにこう言うことを許す。ケテルは、まだそれを容れえぬものを取り巻くもの、として描きうる。マルフートは、下降の全体を経たのち、自らを取り巻いていたものへと還りうる器となる。
上なる王冠は、ついに下から立ち上がる王冠となる。
ここにおいて אֵשֶׁת חַיִל עֲטֶרֶת בַּעְלָהּ、「有徳の妻はその夫の冠である」(箴言 12:4)が、神秘的想像力の内に入ってくる。アテレト、すなわち冠は、頭に取って代わるのではない。それは頭を上から取り巻く。ハヴァ・カドモナーの枠組みは、この像を繰り返し守る——冠は頭を断ち切ることなく取り巻く。その均衡は完成であって、転倒ではない。
マルフートは、自らに先立つものを破壊することによって上るのではない。
実は根に復讐しない。
住まいは足場を攻撃しない。
答えは、それを呼び出した言葉を廃さない。
冠は、頭が何のためにあったのかを顕す。