第 IV 幕 — 住まい第 26 節/全 74 節
ハヴァ——生きること、そして語ること
ハヴァ・カドモナーの著作群は、ハヴァという名が「生きる」と「語る」に響き合うことに重きを置く。ハヴァは「すべて生ける者の母」であり、この枠組みはまた、隠されていたものを語りへともたらす、その語りの語根とも取り組む。それは動きを一つの定式に凝縮する——受け取ることは宿すことであり、宿すことは、物語が語られる場となることである。
これはマルフートに物語の次元を与える。
マルフートはただ出来事を受け取るのではない。
彼女は出来事を一つの生へと変える。
二人の人が同じ事実を経て、異なる物語のうちに住まいうる。
物語とは、偽りを捏造することではない。事実が理解しうるものとなる、その文脈を見いだすことである。
これは、この枠組みが描くハヴァ的な方位のティフエレトに近い——単なる対称ではなく、統合。矛盾を保ち、それを贖いの全体のうちに位置づける能力である。
そのときマルフートは、その統合が肉を得る場となる。
あなたは傷つけられた。
あなたはその傷だけではない。
あなたは成し遂げた。
あなたはその成功だけではない。
あなたは罪を犯した。
あなたはその罪だけではない。
あなたは苦しんだ。
あなたはその苦しみだけではない。
あなたは与えられた。
あなたはその賜物だけではない。
マルフートは、どの章をも書物全体と取り違えることなく、諸章を集める。
これこそ、トーラーがユダヤの歴史に対してなすことである。
エジプトは現実である。
シナイもまた。
金の子牛は現実である。
テシュヴァーもまた。
神殿の破壊は現実である。
契約もまた。
亡命は現実である。
そして וְשָׁבוּ בָנִים לִגְבוּלָם もまた。
ユダヤの物語は、闇が起こらなかったふりをすることによって癒えることは決してない。
それは、闇を最後の語り手とすることを拒むことによって癒える。
それは深くマルフート的な行いである。