第 IV 幕 — 住まい第 25 節/全 74 節
隔たりではなく臨在としてのマルフート
王権は通常、隔たりを含意する。
人は玉座の間へ気軽に迷い込みはしない。
王は威によって統べる。
カバラーはこの次元を知っており、それは現実である。畏れは重い。イルアーは重い。ハシェムが被造物を無限に超えているという感覚は、神を我らの情緒的必要へと崩落させることから唯一神論を守る。
それでもなおトーラーはこうも言う——
וְאַתֶּם הַדְּבֵקִים בַּה׳ אֱלֹקֵיכֶם חַיִּים כֻּלְּכֶם הַיּוֹם
「あなたがたの神ハシェムに固く結びついているあなたがたは、皆、今日、生きている」(申命記 4:4)。
超越の王は、また、魂が固く結びつくその方でもある。
ハヴァ・カドモナーのレンズは、この第二の動きをマルフートの内へと持ち込む。その特徴的な対比は、「上からの権威ある勅」と「内からの現前する証し」である。
それゆえ最も深い主権は、つねに隔たりのように見えるとはかぎらない。
ときに、主権の行いとは、現前しつづけることである。
怯えた子のかたわらに座る親は、床まで降りたからといって力が減じたのではない。
苦しむ生徒のかたわらに膝をつく教師は、権威を明け渡したのではない。
臨在の下降は、超越の破壊ではない。
それは、近さに脅かされぬがゆえに超越がなしうる、そのことである。
シェヒナーが我らのあいだに住まいうるのは、ハシェムが現前することによって小さくなりはしないからである。