マルフート

第 II 幕 — 転回第 3 節/全 74 節

終わらないセフィラー

下降の地図は、もっともな印象を与える——マルフートは終端である、と。

ケテル。

ホフマー。

ビナー。

情のセフィロート。

イェソド。

マルフート。

終わり。

だが、もし最後の一点が壁でないとしたら。

もしそれが転回であるとしたら。

ここでオル・ホゼルが読みを変える。還る光とは、受け手に届いたものがそこにただ置かれるのではない、ということである。受容が応答を目覚めさせる。光は底に集まり、そして昇る。

ハヴァ・カドモナーの枠組みは、これを自らの女性的方位における中心的な構造的洞察とする。それはオル・ヤシャルを下降するものとして、オル・ホゼルを最も低い点に集まって還るものとして描く。その主張は、一方の光が聖で他方が劣るというのでも、下降が誤りであったというのでもない。回路は両方を要する。

それゆえマルフートは、光が止まる場所であるにとどまらない。

マルフートは、光が還ることを見いだす場所である。

これがすべてを変える。

マルフートの上に立てば、彼女は受容に見える。

マルフートの内に立てば、受容は最初の一瞬にすぎない。

彼女は受け取り、そして応える。

彼女は受け取り、そして文脈を与える。

彼女は受け取り、そして胎に宿す。

彼女は受け取り、そして形を与える。

彼女は受け取り、そして語り返す。

彼女は受け取り、そして受け取ったものを新しい状態でその源へと引き上げる。

これはすでにユダヤのアヴォダーに含まれている。ハシェムは穀物を与え、ユダヤ人はパンを作りブラハーを唱える。ハシェムは葡萄を与え、ユダヤ人は葡萄酒を作りシャバットを聖別する。ハシェムは獣の皮を与え、ユダヤ人はテフィリンを作る。ハシェムは肉の身体を与え、ユダヤ人はそれをミツヴァーの器とする。ハシェムは金銭を与え、ユダヤ人はツェダカーを施す。ハシェムは息を与え、ユダヤ人はテヒリームを唱える。

何一つ我らに始まるものはない。

それでいて、我らなしには起こりえない何かが、我らに求められている。

これがマルフートの尊厳である。

受容の目的は貯蔵ではない。

それは変容である。

ハヴァ・カドモナーの枠組みはこれを「受け手の隠れた優位」と呼ぶ。受け手は、伝達だけでは決して現実化しなかったものを引き出しうる。そして受容そのものが働きとして——開くこと、消化すること、宿すこと、産み出すこととして——認められねばならない。

ここでマルフートは、セフィロートの下に置かれた桶であることをやめる。

彼女は子宮となる。

子宮は受け取る。だが妊娠を解する者で、宿すことを受動と呼びうる者はいない。入るものは、ただ以前のままにとどまりはしない。それは保たれ、養われ、分化され、守られ、受容の瞬間には存在しなかった形をもって世に出される。

種は可能性を含む。

子宮は可能性に一つの世界を与える。

それがマルフートである。